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クレヨンはいう

by 郷木 鳥夢

 その頃、見えるものといえば白い壁に白い床だけで、何もない部屋に住んでいました。すべてが白い部屋の高い所には、ちいさな窓がひとつあって、そこから見える空だけが、色を持っていたのです。

 朝になると高い窓から光が差し込み、西の白壁に現れます。光は一日をかけて、西の白壁を下り、白い床を移動し、それから東の壁を上る途中で見えなくなりました。

 夜は高い窓の向こうに点在する、全体像の見えない星座を言い当てて過ごします。星が流れるのを見たこともありましたが、燃え尽きるまで見届ける前に窓の中を通り過ぎてしまうので、見えない行き先を追いかけて、つま先立ちをしたりもしました。

 おかげで、窓よりも低いところから、雲よりも高い場所を見上げるようになってしまい、そこへ転落しないようにと、手摺の代わりに前髪を伸ばし始めたのです。しかしその頃からでしょうか。誰かにプレゼントを渡すときは、いつも一方で何かを盗んでいるような気持ちがするようになり、また、贈り物を受け取るときには、柵のないプールサイドから、明るい水の中に沈められてしまうような気持ちになって、その感覚がいつまでも治まってきそうにありません。

 でも贈り、贈られることで、色数を増やしてきたクレヨンセットは、この部屋で何よりも多彩な言葉です。

 クレヨンを手にとって夢中で動かすと、部屋の白い床に、空を映す鏡色の小川が流れ出します。

 夏草色のクレヨンにこころを寄せると、その色や、線が、まるで声のように主張しはじめて、真っ白な壁へ生まれたがります。

 そんな声を、録音でもするかのように、手にしたクレヨンで描いていくと、いつしか白い部屋は草原になり、森になり、そうやって生まれた大地の上を、窓からの光が移動するようになりました。クレヨンで描いた音の伴わないせせらぎは、光の加減で透明な鈴の音のように光って見えていました。

 いつしか、白かった部屋の中でも、森の日だまりで眠ることができるようになって、そうしたたくさんの色のおかげで、ひどく浮き立って見えていた肌の色の気恥ずかしさを、すこしだけ隠してくれました。

 この先、突然夢から覚めるように、また真っ白な部屋に移る日だって、やってくるかもしれません。でも、ここにある、深くて平坦な森の片隅に、もちろんめくれない本が開かれていて、その開きっぱなしのページでクレヨンがいうんです。

『夜ごと始発の夢に乗って、やがて終着の朝に向おう』と。

 だから何度でも、昼と夜との海岸線を歩き、感情の水平線を見に行くのだと思います。

 いつか新しく住み直す部屋にもきっと窓があって、そうしたら始めに、わたしは空を探すでしょう。空は境目のない様々な色の光を持っていて、取り込んだクレヨンを通じ、また音となって語り出すに違いありません。

 目に見えるすべての色は音を立て、それは網膜と関係する時に、声として届く文字になるのです。

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