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月のペンシル

by 郷木 鳥夢

 尖った屋上を描いてきた、クーピーペンシル、月みやげなんです。

 キャンバスはずっと、わたしの大きな旅行カバンの中にあって、今は突き出た塔が二本、それからドーム型の高い屋根、続きは途切れぬ建築群の、屋上を取って、急に谷。それを一本の心電図みたいな線で引いてゆく。

 真っ暗なキャンバスを走っていくのは、美しく白い輪郭線。使用している顔料は、粉末のように降っていた月光を、固めてつくった、月の樹脂。

 さあ月のワックス引いて、月のペンシル、尖った屋上を一筆に描いてゆく、白い色のクーピーペンシル、月みやげなんです。

 これを、月でもらったんです。ほんとうに、月でもらえたおみやげなんです。

 月食の晩にしたのは月旅行。

 地球の影が月へかかって、あの月面でも、アラビア半島の風が巻き上げる砂塵が影になって流れたり、海をゆく汽船の煙も棚引いたりしていた、そのとき。

 わたしも脚立の上で背伸びをして、開いて伸ばした両手の、影があの、白い月面に落ちて、さわった、あのときに。手の中に握った白いペンシル、そう、月みやげ。

 今夜もわたしは、大きな旅行カバンの中で、屋上を描いているのです。一筆で引いて行く月光の一本線。それはわたしの心電図であり、波形は署名と同じ意味を持つもので、この地球(ほし)へ滞在するための、ビザ申請書の、記入と提出も兼ねて、いるもので。

 今夜も一本の線で着陸した、はじめての町を行き来していたのです。

 でも、ふと屋上から見上げると、カバンの中の夜空では、わたしを呼び止める声がひとつもしません。どこからも声がありません。わたしはどこまでもわたしから、遠くなってしまいそうでした。

 慌てないで、と言い聞かせ、塔の突端から口笛を吹いておりました。

 屋根をひとつながりに描いてきた、クーピーペンシル、月みやげなんです。

 暮らしの向きは、遠く遠く、このまま遠くて、いつまでも旅行カバンの中。

 ところで引いてきた線のぶん、減ってきた手の中のもの。そう、クーピーペンシル。

 わたしが持っている、今は、ない月。月のペンシル。

 今から、あなたに差し上げます。

 あなたがわたしを、知ったから月のペンシル、たったひとつの、おみやげ代りに差し上げるのです。

 この先の、今はない月。いない月のわたしの代りに。

 文字の尖った並びを一筆に、連ねてきたクーピーペンシル、月みやげです。

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