LOG IN

夜の背中

by 郷木 鳥夢

 平均の真ん中は、誰もいない空洞でした。

 普通という統計的な位置には、誰ひとりいられないものなのです。

 ですから本当の真ん中は、人の数だけあるものですから、押し込めた感情を恥じることなどありません。

 あんなにも純度高く透明だったはずの悲しみが、透過し触れられなくなったことに気づいた先にあるがらんどう。

 こんな日は、夜の背中へ乗るといいでしょう。そういった日の夜というものは特に巨大でして、漆黒の皮膚は波打ち、なめらかに隆起をくり返して続く、それはそれは美しい筋力なのです。

 悲しみが、あまり持続しなかったことの寂しさを、会いに行く理由に使おうとさえする時にも。

 ええ、そんな日は、夜の背中へ乗るとよいのです。今夜などは特に大きく、黒く波打つなめらかさは一段と美しくて、そうして連続し隆起する筋力は、国や時間さえ運んで行く偉大な乗り物になるのです。

 いいえ、検札など不要です。

 車掌は一礼して続けました。あなたは一等車にお乗りなのですよ。あのように、悲しみの持続しなかったことを引き受けた、その寂しさというものひとつで、一等車にお乗りいただくに充分な境遇と定められているからです。

 それよりもご覧ください。これより大きくはばたく夜の羽を。美しく動かす艶やかな力を。

 すべての電灯が消えると、窓の外には、黒い海原を伝わる力強い流れがあり、それは時折り光る輪郭線によって縁を現し、そんなふうに波を打ちながら進む大掛かりな動きというものを、ここからは、はっきりと目撃することができるのでした。

 やがて客車の明かりが戻ってくると、しばし休憩の時間が用意されたようです。あちこちで思い思いの弁当やら菓子やらを広げる気配があり、流れ始めた弦楽器の静かな調べが全体を包みました。

 そこで小さな風呂敷包みを開け、渡す相手を失っていた手土産を、ひとつ取って自ら開けて、ちいさな竹の匙を入れたところで、一切の動きを止めてしまいました。

 どうされました、お客様。雨の匂いがいたします。

 給仕の声に気がついて、見れば足元には、閉じて立てかけた傘のように、伝い落ちた水で影ができて、床へ広がっていたのです。

 水羊羹の真ん中に、まだ未完了の感情をみつけてしまったのでしょう。それはお呑みになりますか。

 大切なものは姿を変えても、体の真ん中で、ひんやり泉のように溜まります。規範とすべき行動などありはしません。ただ思う通りにされていいのです。

 車掌も帽子を取って言いました。

 差し出がましいことかもしれませんが、あなたは、あなたの一等車にお乗りです。あのように、悲しみの持続しなかったことを引き受ける、私的な寂しさというもののことも、どうかお乗せいただきたいのです。

 顔を上げると車窓には半透明の表情が映り、その半分透過した先の黒い海原には、時折り光る輪郭線によって縁を現す夜の背中が、あらゆるもの一切を乗せて力強く、飛んで行く姿が見えているのでした。

OTHER SNAPS