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あの夢は小舟で窓を出て行く

by 郷木 鳥夢

 開けっ放しになっている、縦長の窓の枠を通って、仄かな静けさの光が、白い絨毯の上へと青く青く注いでいました。

 他に明かりのない夜ですから、部屋は暗く縁取られ、まるで夜のプールの底のようでもありました。

 光は、月からやって来ます。開け放たれた窓の門から止めどなく、水のように注ぎ込んで来るものが月の光です。

 部屋から流れ出すものはなく、夜のプールへは、こうして音もなく月光水が注ぎ込んできますから、満ちてゆく光の水位はやがて、ベッドで横になっていた、ひとりの体を浮かべ持ち上げていきました。

 夢から覚まさないように、わずかずつ、そっとです。

 それに従い、水底に残った影のほうは、ゆっくり体から離れていくのでした。ほんとうに少しずつです。音もなく、ほんとうに少しずつです。

 影はベッドのなかで、仰向けにじっとしていましたけれど、目はちゃんと覚ましていました。

 体のほうは、浮きのように、水位を上げていく月光に浮かびながら、目を閉じたままでした。すべてはゆっくり、ゆっくりと、音もなく進行していくことでした。

 やがて、部屋に注ぎ込んだ月光水の水位は、天井にまで達して、浮かべた体のほうを、静かに部屋の天井へ押し付けました。

 部屋の一番底では、ベッドに横になったままの、影だけが一体、沈んでいる事態となりました。

 目を覚ましていた影は、さっきまで一緒だった体を、天井に見上げていました。

 浮かんだほうの体は、かつて一度も逃れられなかった自重を忘れ、鼻先とつま先を天井につけたまま、今ここではないものの夢を見ています。

 影のほうは慣れたもので、慌てることもありませんでした。明け方になれば、月光水が抜けていくことを知っていましたし、やがては光の水位も下がり、あの体もベッドまで下りて来て重なれば、これらを誰も知ることなく、すべて元通りの朝を迎えるはずでした。

 朝には影も目を閉じて、体のほうと結びつき、何もかも正常とされるバランスで釣り合うことを知っていたのです。

 これまで何度もあったそのことを、影はよく知っていましたから、いつもの通り、部屋の一番底に沈んだまま、目だけ開けて、天井に浮かぶ体のことを見上げていたのです。

 高い天井には、いつもと同じように、真夜中の浮遊体がありました。底のベッドには、いつもと同じ、錨のような影がありました。影の錨をベッドに落とし、体は天井で夢を見ています。いつもと同じで、いつもと変わらないことです。

 けれど今夜、影はこれまで感じたことのない心を持ちました。

 遠い月面とシーツが、同じ色に染まっていたからかもしれません。月光水を注いでいる遠い月と、窓を開けているこの部屋とが、同色のよしみで距離を飛び越え、密かに関係を結んでいることを、見てしまったからかもしれません。

 なのに夢見る体の追っているものは、ここでないものばかり求めているようにも見えてきたのです。

 影が試しに息を深く吸えば、月面から直接肺の底へまで届きます。ゆっくりと吐いた息は、何一つ遮られることなく、月にまで届いていきます。

 これは現実の距離なのです。天井で、ここにありもしない夢を見ているあれのほうが、もはや月よりも遠いのです。

 すると、ベッドを離れていた体が方位磁石の針のように回転し、それから小舟のように、開かれた窓から出航していきます。

 満潮の月光水の水位に乗って、錨鎖(びょうさ)のない体は、あっけなく窓の外へ船出していきました。

 船出した体はだんだんと小さくなり、目だけ開けて見ていた影は、部屋の一番底の底で、それを見送ることができました。

 影には口がありませんでしたから、別れの言葉も、告げることはありませんでしたけれど、それで困ったことは、ひとつもなかったのです。

 この日のこの出来事に、あえて言わなければならないようなことなど、きっと最初から、何ひとつなかったからでしょうね。

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