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ポケットの石

by 郷木 鳥夢

 ポケットの中に石がある、のに、取り出せません。

 そのとき信号機の色が変わり、誰もかれもそれぞれの行き先を見据えて横断歩道を渡り始めましたから、釣られて歩き出した僕の、でも、ポケットの中には石があって、それをどうしても取り出すことができないんです。

 歩きながら、布地のあちこちから押さえて、ポケットの隅に寄せてみたりするのですが、いったいどういう構造なのか、やはりポケットの石をどうしても出すことができないんです。

 ぢりりん、と激しくベルを鳴らされて顔を上げると、既のところで自転車が僕を避けていきました。立ち止まると、今度は横断歩道の白線だけを不自然なステップで踏んできた男が、その勢いのまま肩をかすめました。

 僕はポケットに手を入れた格好で二人を睨んだのですが、男はじっと白線だけを凝視して、足の裏に白だけを踏みながら渡っていきましたし、自転車は次の標的を見つけて当たり散らすようにベルを鳴らしながら、ジグザグに進んでいきました。

 横断中の真ん中に立ち止まって、ポケットに手を突っ込んで、そして取り出せない石は思いのほか、大きい物のようです。

 これはどこで入ったのだろうと、苛立ちを覚えながら石を引っ張ると、布地に包まれたまま、ポケットが内からひっくり返りそうになったのですが、そこまでしても、どうにも石を取り出せそうにないのです。

 ところで、横断歩道が長いんです。信号の青い時間も、その点りがそのまんま宙で死んでしまったかのように点いています。

 そのことに気づくと、横断歩道の白線と白線の間がすっと伸びていき、つられて遠ざかる信号機の光が点になって、やがて上空の裾に括りつけられました。

 今や向こう側の歩道は地平線のように遠く、極端な遠近法を伴ってU字の湾曲を描いていましたし、地面はわずかに足元にだけ、なんとか平たく残っているのでした。

 風が立つと、砂塵が巻き上がって、古き日を写した写真の周囲に現れる、褪せた色のように視野の縁を飾ります。

 今、ここにいること自体が風化していたのでしょうか。生きていることが、もう色褪せてしまっているのではないでしょうか。最新のここは、風化した状態でしか、ここにいられないのでしょうか。

 その時つま先が何かにあたって、つまづきました。

 左手をアスファルトに、くるぶしをコンクリートブロックに、少し遅れて耳たぶを電信柱の根もとにぶつけて、ようやく転倒が止まりました。

 眼前に、固い地面がありました。

 周囲を行く足音が、皆、駆け足に早まってきたので、いそいで立ち上がって見回すと、すでに渡り終えた横断歩道が後ろにあって、それから痛む手でポケットに触れると、あの石がなくなっていることに気づいたのでした。

 渡り終えた道には、石がいくつもいくつもいくつも落ちていましたが、それが自分の持っていた石なのかどうか、見分けることは難しく思いました。

 ようやく手のひらと耳たぶが、じんじんと赤く痛んできて、交差点では、赤色に変わった信号機の下を、背中を丸めて駆け足になる一団を列の最後に、たくさんの車の流れと入れ替わります。ですから横断歩道も、それから石も、もうほとんど見ることができなくなりました。

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