LOG IN

#53『あの日とは別の夏』

by 郷木 鳥夢

 夏、夏、夏日。

 真昼間の、太っい気温。

 指にたとえたら、ごっつい親指の腹みたいな。職人さんとか、親方さんとか、そういう人の、強い指。

 夏、夏、夏日。

 真昼間の、太っい気温。

 仰向けになって、熱を持ちはじめた床板へ、背中の全部をくっつけて、高く上げた指先を反らせてみている。

指はきれいに動く。

 そのむこう。天井には、海岸線のようなシミがある。去年よりも海の水位が上昇してて、海域を広げているような気がする。

 おんだんか。

 扇風機がぶーんと首を振り、電灯からぶらさがる紐の先にくくりつけられた木製の、天体が、ちいさな楕円軌道を描いてぐるぐるしている。

 背中をくっつけている床板は、床板から柱に、柱から基礎に、基礎は土地につながって、その地面は遠く国境から海底や海溝、大陸のプレートの大きな湾曲、それがどこまでも続くと、この星になる。

 星を背中に着ているのだ。

 だから伸ばした指先も、星のアクセント、ワンポイント、アクセサリー、この星の表情の一部分とかそういうニュアンス。えくぼ、エクステ。惑星規模の、なんか、そんなうちのひとつ。

 扇風機がぶーんと首を振って、電灯の紐の先にくくりつけられた天体が、楕円軌道を描いている。

 裏庭に面した全開の窓サッシを通して「もう置いてっちゃうからね」という妙に若そうな母親っぽい人の声と、声にかぶせて、大きな「いやあだ」というこどもの泣き声が聞こえる。

 路地を歩いているんだろう。何人も歩いているんだろう。日傘のつくる小さな無音を、誰かのサンダルが踏んでいる感じがする。

 まばらに下駄の音が駆け寄って止まって、「すごい似合う」の声も「わあ、かわいい、それ」の声もする。

 路地を通っていく、いろんな夏があるのだ。

 お祭りを知らせる、乾いた音の花火が上がる。

 もう、別の夏なのか。

 あの夏とは別の、夏なのか。

 わたしは背中を床板にくっつけて、星の一部になっている。あるいは星を背負っている(ただし仰向けだ)。地面から柱、柱から床板、床板から背中を伝ってつながっているから、ここに見ることはできなくても、どこかの雨季や、どこかの雪解けや、萌芽の気配や、風化する遺跡の砂や、岩を削る氷河にまで、つながっている。

 だから、これはほんの誤差みたいなものだから、去年のあの夏祭り、ふんわりとした提灯のあかりのなか、浴衣の裾を揃えて折って、なんて大胆とか思いながら、止められずに隣りに座ってみた、あの夏祭りの夜と、今もまだ、つながって、いたって、いいのに。

 襖が急に開いてお姉ちゃんの声が飛び込んでくる。

「浴衣どうするの」ってもう、ぜんぶ台無しな勢いのせいで、現実に戻ってきた。

 慌てて体を回したとき、ごつんと床板にくるぶしをぶつけて(痛っ)ふと見たら、ぞっとするくらい遠くに足があった。

「急に背、伸びすぎなんだよ」って、お姉ちゃんはぶつぶつ言いながら、タンスのある部屋へ戻っていく。

 ほんとうに、なんでこんな、足の先までの、どうしようもない、遠さ。

 足は遠く伸びて、もはや先端に灯台のある岬のようなラインにもみえてくるよ。去年の夏を、地平線の向こうへ沈めてしまうほどの、遠い感覚。

 夏、夏、夏日。

 昼下がりの、長い足。

 旅先の知らない岬の、でも、観光とか、撮影とかでは、見向きもされない、ありふれた岬。

 昼下がりの、変に長くて遠い足岬。

 電灯からぶら下がっている紐の先で、くくりつけられた天体が扇風機の風に吹かれて、相変わらずちいさな楕円軌道を描いてる。

 風に乗ってきたお囃子の音が、勝手に窓をくぐって、入ってきてわたしを誘っている。

 もう、あの日とは別のお祭りが、ここへ来ているんだ。

 わたしをここをのせたまま、もう、あの日とは別の、違う夏に来てしまっている。

『あの日とは別の夏』 【了】

#散文詩的な短編幻想小説

OTHER SNAPS